2010年9月1日水曜日

西表島 イタジキ川遡行1 出発



2010年9月1日
西表島 イタジキ川遡行1 出発
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

松本を朝6時に出て、羽田へ向かう。
出発前に佐藤のアパートで、装備の確認をした。前日に沖縄地方を台風が直撃したので、沢は非常に面白い(?)ことになっていることが予想された。ハーケンなどの登攀装備を念のため増やすことにする。
高速道路に入る前にマックスバリュー(スーパー)へ寄って、佐藤、加藤はパンティーストッキングを購入した。ヒル対策にはパンストがいいということだが、私は遠慮した。佐藤はLLサイズのパンストを探していたが、結局無くてLサイズ3枚セットを購入。早朝、オッサンが婦人下着売り場をうろつく姿は異様だ。

羽田には10時ごろ到着。パーキングに車を預け、空港に向かう。昼飯を食べてから飛行機の搭乗手続きをする。
大きな汚いザックを持っていると、たいてい荷物検査は厳しい。毎回のようにMSRドラゴンフライのガソリンボンベ(もちろんカラ)は厳しいチェックを受ける。その他にも怪しいものがないかザックの中をひっくり返して検査を受けるの普通だ。しかしなぜだか今回は違った。ほとんどノーチェック。X線の中を通すだけ。しかも重量は余裕で20Kgオーバーなのだが、測りに乗せると19Kgジャスト!佐藤と加藤の荷物も19kgだったので、どうやらANAの重量計は19kg以上を表示しないようだ。これから航空機はずっとANAを利用しようと思った。
何のストレスもなく13:15分発沖縄行の航空機に乗れた。加藤はなぜか機内持ち込みで、トイレットペーパー丸々1個だけ持って入る。理解不能。

沖縄空港で石垣島行きの航空機に乗り換える。前日の台風の影響なのか、出発が1時間以上遅れた。石垣島には18:30過ぎに到着する。南の島なのに、東京よりもはるかに涼しく感じた。実際、気温は東京より低いのかもしれない。
西表島には石垣島からフェリーで向かわなくてはならないが、最終便が出てしまっているのでこの日は石垣島のホテルに宿泊する。初日から西表島に入ることができれば日程的に楽になるが、早発の航空機のチケットが手に入らなかったのでしかたない。しかし西表島ではスーパーなどがほとんどないので、食料などの買い出しが楽にできる石垣島にステイするのは正解のような気がした。

ホテルに向かうタクシーで、途中、ガソリンスタンドに寄ってもらいドラゴンフライの燃料(ガソリン)を購入する。航空機では普段、山で使用するガスカートリッジを運搬できない。そのため現地調達できるガソリンを燃料にできるドラゴンフライを用意した。しかし今更だけど、石垣島であればEPIなどのガスカートリッジは手に入ったのではないかと思うがどうだろうか?

ホテルにチェックインした後、市内へ買い出しにでかけた。スパムやゴーヤ、ソーキそばなど島らしいものも購入する。朝食用の即席ラーメンに“うまかっちゃん”を買った。佐藤と加藤は知らないラーメンを嫌がったが、九州(大分)産まれの私にとっては、これこそがラーメン。
ホテルに戻りパッキングをする。佐藤と加藤はストッキングの試し着をした。佐藤の体はLLサイズだが、ストッキングはLサイズだったため装着した瞬間に電線が走る。ヒル対策の意味が全く無い。私はタイツをファイントラックのフラッドラッシュタイツとスキンメッシュタイツを2重に履いてヒル対策とした。これでヒルが侵入して刺されたことはないので、西表島でもきっと有効だろう。
ちなみに今回は、ビバークするのにARAIテントのカヤライズを佐藤に用意してもらった。普通の沢だとタープだけでいいのだが、虫の襲撃を恐れてテントを用意することにした。ただカヤライズだけだと防水性がないのでタープとフライシートも用意する。暑いのでシュラフは持たない。シュラフカバーだけにした。

そんなわけで準備万端!いよいよ西表島へ突撃する。


つづく

山と釣り、ときどき映像制作

西表島 イタジキ川遡行2 縦断道からマヤグスクの滝へ


20010年9月2日 
西表島 イタジキ川遡行2 縦断道からマヤグスクの滝へ

メンバー:塩月、佐藤、加藤 

朝6時起床。石垣島では雨がけっこう降っていた。
朝7:30、離島ターミナルのコインロッカーに余分な荷物をデポして西表島行きのフェリーに乗る。本当は6:40発の船に乗る予定だったが、私の勘違いで1本遅れた便になってしまった。というのも、離島ターミナルでは二つの船会社が営業をしていて、それぞれの会社によって運行時間、船乗り場が異なる。行き先が同じなのに、窓口が違うので非常に混乱しやすい。今回も違う船会社の乗り場でチケットを渡したときに間違いを指摘され、そのときは既に予定の船は出航した後というなんともお粗末な結果になってしまった。西表島行きのフェリーは“競艇でもしているのか!?”と思うほどのスピードで進む。西表島の上原港には40分ほどで到着。

上原港から浦内川の遊覧船乗り場までは無料の送迎バスが出ている。バスに乗り、島の風景を眺めていると“また再び西表島にやってきたぞ!”という実感がわいてくる。乗船場に到着するころには天気も回復。チケットを買って入山届けを提出する。西表島を縦断する場合には駐在所、営林署に入山届けを出すことが義務付けられている。本当は直接、駐在所に提出したいところだが、乗船場でも受け付けてくれるということなので、ここに提出することにした。念のため、切手を張った上原駐在所の宛先を書いた郵便封筒に入れて提出する。

乗船場で縦断道の情報収集をする。前日に某大学のワンゲル部員がイタジキ川を渡渉できなくて戻ってきたという話を聞く。やはり台風の影響で増水しているようだ。
マングローブの生い茂る浦内川を船で遡上する。船に乗っているのは私たちのほかに年配の夫婦とトレッキングツアーらしき3人組だけだ。出発してすぐに年配の夫婦が“船に酔ったから戻してくれ”と言い出す。“今乗ったばっかりで酔うヒマなんてなかっただろ!!”と突っ込みたくなるほどの距離しか進んでないのに船着場に戻ることになった。なんだか雲行きが怪しい。そして再び船が走り出すころには本当に雲行きが怪しくなって大粒の雨が落ちてきた。最悪な気分になる。

幸いにも軍艦岩に到着するころには雨も上がり晴れ間も出てきた。船を下りるとき船頭さんに“縦断できなくて戻ってくる場合は4時までに帰ってきてくださいよ”と言われる。縦断ではないのだが、どちらにせよこの日戻って船に乗る予定はないので、そのことを説明する。船頭さんの雰囲気から、イタジキ川は渡渉が困難なほど増水していることが予想された。
軍艦岩から少し離れたベンチが設置してあるところでヒルノックを体中に吹きかけた。よく整備された道がマリュドゥの滝、カンピレーの滝まで続く。途中、某体育大学の学生の集団が前を歩くがペースが遅いので道を譲ってもらい先を急ぐ。あたり前だが体育系の若者が多く、挨拶もしっかりしていて気持ちがいい。30分ほどでマリュドゥの滝の展望台に到着する。ここにも大勢の体育大学の学生がいた。総勢50人以上の集団であろうか?地元のガイドと思われる人がこの集団についていた。マヤグスクの滝を越えてイタジキ川を遡行することを話すと猛烈に反対された。入り口のゴルジュは岩が脆く、落石も多い、あんなところを行くのは正気の沙汰ではない・・・みたいなことを言われる。何よりも増水していて無理だというふうなことも。無理かもしれないが今年はヤルつもりで来たので、申し訳ないけど適当に聞き流した
マリュドゥの滝を過ぎるとすぐにカンピレーの滝が現れる。日本離れしたスケールの大きい風景に感動する。でも、カンピレーの滝は“滝”というより“激流”といった感じのところだ。
カンピレーの滝を過ぎると縦断道に入る。道はとたんに悪くなり、歩きにくくなる。けっこうぬかるんでいるのでスニーカーだと大変だ。我々は渓流シューズを履いたままなので、ドロドロであっても気にはならないがフェルトのソールは滑りやすくて苦労する。それにしても暑い。汗が止まらない。佐藤は“山でこんなに暑いのは初めてだ!”と不快感を口にする。それにしてもセミの鳴き声がうるさい。しかも本州で聞くようなセミの鳴き声ではなく、'''壊れた電子機器が爆発寸前に出す不規則で不快な擬音'''のような感じの鳴き声である。加藤はこの音が“シコリテー”にしか聞こえないとワケのわからないこと言い出すし、不快指数は最高潮に達した。私は少し脱水症状になり、激しい頭痛がするようになる。頭痛薬を飲み、多めに水分を補給した。
 第二小屋跡を過ぎて小さな沢を渡渉した。しばらく歩くとようやくイタジキ川出合に到着する。イタジキ川へは浦内川から水の流れの中を入っていった。足をとられそうな水流だが遡行するには問題ない。佐藤に“水の量はどうか?”と聞かれたので、“激多い!”と応える。実際、去年ゴルジュを敗退したときと変わらない水量に感じた。
イタジキ川を遡行してマヤグスクの滝を目指す。左岸側に明瞭な踏み後があるが、沢登りにきたので水流の中を行く。川幅いっぱいにナメが広がり、その向こうには大きな釜を持つ小滝が見える。この景色を見るだけでもここに来る価値はありそうだ。
やがて大きな水の音が聞こえてくると、目の前に半円形の巨大な白い流れが現れる。マヤグスクの滝に到着した。一年半ぶりにまたここにやってきた。熱いものが込み上げてくる。滝は階段状になっていて、右のほうから簡単に登ることができる。
マヤグスクの滝の上は扇形のステージになっている。そのステージの奥には高さ20m以上の絶壁に囲まれたゴルジュが口を開け、ゴウゴウと音をたてながら大量の水を吐き出している。まるで黒部ダムの放水のようだ。水の勢いが強すぎて、ステージを横切り右岸側へ行くことができない。足をとられれば、そのままステージが発射台になりマヤグスクの滝を飛び出していきそうだ。

あまりに異様な風景に加藤はビビッて言葉を失う。逆に佐藤は“これはすごいゴルジュだ!おもしれー!!”と興奮した。どうなる俺たち?


つづく


山と釣り、ときどき映像制作

西表島 イタジキ川遡行3  ビバーク



20010年9月2日 
西表島 イタジキ川遡行3  ビバーク
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

マヤグスクの滝の上で、ゴルジュの中を覗き込む。佐藤“見える感じだと、二番目の滝の左から登れそうですね”と、ゴルジュ攻略のイメージができた様子。時刻は午後2時ごろ。まだ行動する時間はある。そのまま突入するかと思いきや佐藤から意外な言葉が・・・“今日はこれでビバークしましょう”
彼の考えでは”一晩まてば絶対に水は少なくなる!”ということだ。これだけスラブの岩が続く沢は、水を溜めずにすぐに流れてしまい水の引きも早いという予測を立てた。いずれにせよ尋常じゃないゴルジュなので、一日待って朝一番に突入したほうが時間的にも体力的にも余裕がある。ここは慎重に行動することにした。ただし夜、雨が降らないという保障はないが。

佐藤は“テント設営してますわ!”と言って、先に行ってしまった。加藤を見ると明らかに動揺しているのがわかる。無理もない。私も去年このゴルジュをはじめて見たときは、正直ビビッタ。しかしそのための準備を1年間してきたつもりなので、今は恐怖心よりもここに戻ってきたという喜びのほうが強い。加藤に“安全第一でやるから絶対に大丈夫だ”と声をかけるも。“はあぁ~・・・”と頼りない返事が返ってくる。加藤は大学時代は山岳部だったし、フリー(クライミング)もそうとうやっていたと聞いている。このゴルジュを突破できる実力は間違いなくあるだろう。あとは気持ちだけだ。一晩ゆっくり寝れば気持ちも落ち着くだろう。どうでもいいけどテント設営すると言って佐藤は先に行ってしまったが、テント一式を担いでいるのはオレなんだけど。

イタジキ川の下流に、河原が広くなった絶好のテン場を見つけた。
佐藤はそこで“大ウナギを釣る!”と言って、鶏肉をエサに使った仕掛けをしこんでいた。川の中を見るとテナガエビがウヨウヨいる。夕食の足しにこいつらを捕獲することにした。テナガエビは加藤が持ってきた蝶を採取するための網を使って捕獲した。加藤は大学院までいって蝶の研究をするほど蝶が好きで、卒業した今も“アマチュア蝶研究家”として活動している。今回の西表島も、珍しい蝶を観察できると聞いて参加したようなものだ。しかし実際は蝶をほとんど見かけることもなく、テナガエビばかりを採取することになった。蝶を採取するための網をテナガエビを捕るために使うのを最初は嫌がっていたが、山岳部の先輩だった佐藤には逆らえずテナガエビ専用の網となってしまった。 
大ウナギは釣れなかったが、テナガエビは大漁だった。テナガエビは日が暮れるとよく獲れた。暗くなると目があまり見えなくなるのか昼間のような機敏さがない。大きいエビは塩焼きにして、小さいエビは味噌汁に入れて食べた。どちらも激烈に美味かったが、小さいエビのほうが甘みが強くておいしく感じた。
去年はキャンプをしていてヒルやダニの襲来に悩まされたが、今回はほとんどヒルを見かけなかった。パンツ一枚でいた佐藤がヒル1匹にやられたぐらいだ。これも猛暑の影響なのか?
テントはカヤライズを用意して正解だった。とても暑くてシュラフカバーだけで十分だった。シュラフも軽量化のため持ってこなくてよかった。
ラジオで天気予報を聞いた。翌日は晴れ間が続くようだ。よかった。ただ台風9号が近づいてるらしい。空には満天の星空が広がる。山(山岳)で見るよりよく見える。離島は周りが海で、街明かりが無いからだろう。天の川の流れがこれほどはっきり見えたのは初めてだ。翌日のゴルジュ突破もうまくいきそうな気がした。


つづく


山と釣り、ときどき映像制作

西表島 イタジキ川遡行4 ゴルジュに入る



20010年9月3日
西表島 イタジキ川遡行4 ゴルジュに入る
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

朝、スコールのようなドシャブリの雨で目が覚めた。島では雨が降らない日はないようだ。西表島は長野よりはるかに西に位置するため日の出が遅い。なかなか明るくならないので少し寝坊した。朝8時ころテン場を出発して、8時半頃マヤグスクの滝の上に到着する。水量は前日と比べてもたいして減ってないように感じた。
このゴルジュには、入り口に2mほどの小さな小滝(F1)、50mほど入ったところに5mぐらいの第二の滝(F2)、そしてその奥に8mほどの第三の滝(F3)の3つの滝がある。ゴルジュの右岸側には高さ20mぐらいのところにゴルジュの外まで続くテラスが伸びていた。
流れが非常に強いことから、まともにゴルジュの中を進めないことが予測された。そこで今回は、F1を越えてゴルジュに入ると右岸側をヘツリながら登り、F2の落ち口あたりでテラスの上へ抜ける作戦を立てた。手順としては、佐藤がリードで60mロープをテラスの上まで引っ張りフィックスする。セカンドがフィックスロープを頼りに登る。サードが支点を回収しながら登ってくるというシンプルなもの。しかしこれは60mロープがテラスの上まで届くことが前提になっている。 
ゴルジュの入り口にハーケンで支点を作る。今回用意した装備は、ハーケン7枚、カム(小さめの)3つ、ナッツ半セット 、60mロープ1本。佐藤が私に気を使って“オレがリードしていいですか?”と断ってきた。“もちろん”とこたえる。実際ここをリードできるのはお前しかおらんよ!そもそも私は撮影しなければならないので、リードが佐藤、セカンドおよびビレイが加藤、そしてサードが私というのが“暗黙の了解”のような形で最初から決まっていたような気がする。しかし実際はそういう運びにはならなかった・・・
 
佐藤が加藤に“フィックスにビナを2枚がけでこいよ”と声をかけると、加藤は“えぇぇ?ああぁ~はぁぁ・・・”と宇宙語をしゃべりはじめた。ビビッテ、完全に目が泳いでいる。“お前大丈夫かっ!”と声をかけるが、加藤は死んでいた。佐藤が“塩月さん、セカンドとビレイお願いします”と言うので、私がセカンドをやることになった。加藤は“オレはどうしたらいいの?”という顔をしている。そういえば、加藤とはゴルジュ攻略の打ち合わせをしていなかった。厳密に言えば、そんな打ち合わせは一度もこのパーティーではしていない。私と佐藤の間だけで、ここの登攀イメージができていてそれが一致していただけのことだった。逆に言えば、この方法しかここは突破できないという状況でもあったので、このゴルジュ突破にかける“思い”の差が加藤との間にできてしまっていたようだ。ある意味、加藤には申し訳ないことをした。加藤にロープの末端を自分に結んで、支点を回収しながら最後に登ってくるように指示し、私のフックハンマーを預ける。“ところで加藤君、八の字結びってできるよね?”。加藤、“は、はちの字ってあうぅ・・・”。本当に大丈夫なのか不安になる。本当に本当に不安だったので、その場で末端をハーネスに結ばせた。

 
いよいよ佐藤がゴルジュに入っていく。入り口のF1は左岸側をヘツリながら登り、滝の落ち口へ出る。落ち口の手前で1つ支点を取る。佐藤がF1の上の激流に入り、ゴルジュを左方向に横切って右岸側へ取り付くのが見えた。そこにも支点を取っている。それより先は、彼の姿は見えない。信じてロープを送っていくしかない。ビレイは肩がらみで行った。トラバース気味に進むので、落ちたらすぐに水流に巻き込まれると考えられたからだ。撮影は加藤にお願いした。しかし彼の動きを見ていると私の後頭部しか撮っていないようだったので、ビレイしながら撮影した。あたりまえだが、ビレイも撮影もうまくいかない。佐藤が見えなくなり、核心に入ったようなのでビレイに集中した。ゴルジュを横切って進んだため、ロープが水流に押され流される。佐藤も苦労しているのかロープがなかなか進まない。1時間ぐらいたったであろうか?60mロープも残り5mほどになったとき、急にロープの引きが速くなった。上に着いたらロープを2回強く引くことになっているが、水圧が強すぎてよくわからない。ゴルジュの中を覗きこむとF2の上のほうに佐藤がいるのがなんとなく見える。終了点に違いないと信じ、ロープを固定した。
 
いよいよ私が行く番になった。出る前に加藤に“この状況を楽しんでやろうぜ!”と声をかけるが、“あぁ、はい・・・”と弱々しい声でこたえた。正直、私もちょっとビビッてるんだけど・・・
フィックスロープにカラビナをかけ、F1の左岸側をヘツッて滝の落ち口に出る。滝の上は極端に谷が狭まっていて流れが強いが、川底がスラブの一枚岩になっているためフリクションがよく効いた。ゴルジュの中に入ると、その異様な雰囲気に圧倒された。目の前にはF2がゴウゴウと音を立て、ものすごい水量が流れ落ちてくる。滝つぼは10~15mくらいの釜になっていて川底と側壁が大きくえぐれている。流れが速すぎて泳いで滝に取り付くなんてありえない状況である。ロープは右岸側の側壁に伸びていた。
 
F2の上のテラスから佐藤が手を振っているのが見えた。よくまぁこんなところをリードで行ったもんだ。フィックスロープを頼りに右岸側へ渡る。途中、ロープの下をくぐったときATCをかけたカラビナがロープに引っ掛ってしまった。“しまったっ!!”と思ったときには、鉄の塊のATCが木の葉のようにゴルジュの外へ飛び出していった。ゴルジュの外にいる加藤に大声で“拾ってくれー!”と叫ぶも、加藤は既にロープの末端を自分に結んでいたので、“鎖につながれた犬”状態。つながれたロープを引っ張ってウロウロしている。無常にも私のATCは、加藤の横をすり抜け、マヤグスクの滝発射台をみごとに飛び立っていった。確保器は、カンつきビナにつけるべきだったと反省する。また“アレがもし自分だったら”と思うとゾッとした。
 
側壁の取り付きは小さなリッジになっていた。リッジの上に支点があったのでカラビナをかけかえる。よく見ると佐藤が作った支点のすぐ近くに、支柱部分だけが残っている腐ったボルトの跡があった。同じようなルートを登った(登ろうとした)人がいることに驚いた。リッジを越えて側壁に入る。側壁は上にいくほど被っているので、なるべく水際まで下がってトラバースしていくがホールドが滑ってまともに掴めない。フィックスロープを掴むと、どうしても谷のほうへ伸びてしまいバランスを崩してしまう。足場も非常に脆く、ここぞ!というときに思いっきり崩れてしまった。中途半端に落ちると危ないので、思い切り釜に飛び込んだ。そのまま流されてリッジの支点のところまで流される。まともじゃない水の流れだ。落ちたところから壁を登り返せるかと思ったけど、とてもじゃないが無理だ。しかも壁の下部は大きくえぐれていて足をかける場所もない。

本当にここ行けるのかなぁ?オレ。

西表島 イタジキ川遡行5 ゴルジュ突破!



2010年9月3日
西表島 イタジキ川遡行5 ゴルジュ突破!
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

一度落ちてしまうと、ザックが水に浸かりすこぶる重い。再び小さなリッジを越えて壁に取り付くも歯が立たない。次のホールドが遠くてどうしても行けなかった。“うぉ~、フックハンマーがほしぃ!!”と思わず叫ぶ。こういうシビアなヘツリではお助け道具があると助かるのだが、ギアは佐藤に全部渡してあったし、フックハンマーは加藤に預けた。できるだけ軽量化を考え装備をギリギリまで削ったのが裏目に出た。しかしここまできたら悔やんでもしょうがない。上で見ていた佐藤がフィックスロープを限界までピンと張ってくれた。だからといってフィックスロープを掴んでいける場所ではなかった。弧を描くようなトラバースではロープは谷側に張り出している。重いザックを担いでロープを掴むとブラーンと下にぶら下がるような感じになってしまい、あっという間にバランスを崩してしまう。また落ちてイタジキ川の天然水をガブ飲みするのは嫌だ。
しかしここでひらめいた!首の後ろにロープを当てるようにして体を支えてやれば、微妙なスタンスも耐えられるのではないか?ということでやってみた。微妙なホールドでも体が止まった。しかもファイト一発で手を伸ばすとそこにはスリングがぶら下がっていた。次の支点にお助けとして佐藤がスリングを設置していたのだ。さすが佐藤!おかげで核心部のど真ん中でレストができた。しかし何ともカッコ悪いヘツリだ。このカッコ悪いヘツリは、後で佐藤に大笑いされることになる。
釜のちょうど真ん中あたりまで来た。しかしこれからが本当の核心である。もしこの先、落ちることがあれば、釜の真ん中にある支点まで流されて止まり、そこから上がることはできないだろう。巨大な洗濯機に放り込まれるようなものだ。考えただけでも恐ろしい。
ビビッテなかなか初めの一手が出ない。勇気を振り絞って手を出すが、ホールドはかなり悪い。“マズイ”と思いながらも体を入れていくが、それ以上動けなくなった。本当にヤバイと思ったそのとき、腰のあたりに出っ張った岩でニーロックがばっちり決まる。うぉっ!奇跡!!そのままテッドで右手を伸ばすと、思いっきりガバに手が届いた。しかもそのガバは、佐藤が後続のために磨いて苔を落としている。本当に助かった。そのままF2まで進むことができた。一旦、F2の流れの中に足を入れてから5mほど直上し、テラスへ上がる。F2の流れは強烈で、足を持って行かれるかと思った。ここまで来るのに完全にバテた。F2からの登りは、佐藤がロープを下ろしてくれたので確保されながら登ることができた。確保されていても被っているところがあったため、スリングを使ってA0で越えた。ボロボロになりながらなんとかテラスまで上がることができた。

佐藤が“お疲れ!”と声をかけてくれるが、私が真っ先に口にした言葉は“加藤君はぜったい無理だべ!!”である。クライミングの技術というのもあるが、何よりも彼は私より重い荷物を背負っていた。しかし佐藤はそのへんも十分承知で“ゴルジュの中ほどに入ったら、ロープで荷揚げしますんで大丈夫ですよ”とこたえた。加藤が進んだ距離の分だけメインロープを折り返して戻してやり、それをザックに結んで上から引き上げてやれば加藤は空身で登ることができる。 
加藤がゴルジュに入る。側壁に取り付く前に、余ったロープを加藤のほうへ流してやるが、流れが激しすぎてロープが見えない。上からロープを引いたりゆすったりして、加藤に見えやすいようにしてやる。まるで釣りしているようだ。大声で右だ!左だ!と何度も叫び、なんとかアタリがきて加藤を釣り上げることができた。私が加藤をビレイし、佐藤が加藤のザックを引き上げる。ザックはメインロープで引き上げるため、どうしても水流に逆らった方向に引かなければならない。激烈に重くなる。途中、ザックが岩に引っ掛ってしまいどうしようもなくなる。 
加藤は空身とはいえ、見事な動きをした。私が何度か落ちた場所も、上のほうにルートをとり難なくクリアする。支点の回収も片手で無難にこなした。佐藤も思わず“オッケー出来てる!!”と声をあげ、安心した様子だ。 
しかし問題は引っ掛かったザックだ。加藤にザックをなんとかするよう指示を出すがうまくいかない。結局、加藤が上まで登りきった後、佐藤が降りてザックを回収することになった。登ってきた加藤から、回収したギアを受け取ると佐藤は再び流れのほうへ降りていった。今回の遡行は、佐藤の超人的なクライミング技術とこういった献身的な働きによって成功したと言っても過言ではない。佐藤をロアダウンで激流へ降ろす。上からは佐藤の様子が全く見えないため、何をやってるのかさっぱりわからない。時々、ロープを“グイグイッ”と引っ張って合図を送ってくるがロープを“引け!”なのか“緩めろ!”なのかさっぱりわからない。とりあえず透視をしてみて、感じるままに操作する。(後から聞いたが、佐藤の思ったとおりにロープを動かせていたらしい)。佐藤がF2までザックを引き上げてきた。ここまでくれば声も届く。佐藤が“ザックを上げてくれー!”と叫ぶが、重くてさっぱり上がらない。そこでザックを半マストでビレイし、少し上げたら固定する動作を繰り返した。ザックと佐藤が、見える位置までやってきた。ザックを見ると、中に水が入ってパンパンに膨れ上がっていた。加藤のザックはICIのガッシャブルムだ。ザックの容量は無限大(公式80ℓ)といわれるガッシャが、まるで溺死した豚のように見えた。佐藤とザックをビレイしながら、激重のザックを引っ張り上げるという操作を“ブヒーッ!”と叫びながら繰り返していると、ただごとではないと思ったのか、安全な場所で休んでいた加藤がようやく気づいてくれた。“ていうかオメェのザックだろ!さっさと手伝え!!”と心の中では叫んだが、私もいい大人なのでそんなことは口にしなかった。こうして3人がかりでようやく豚を引き上げることができた。このとき豚の重量は40kg以上あるように感じた。

ようやくゴルジュを抜けた。ここだけで4時間以上を費やしてしまった。佐藤は“正直、後の二人が登れるかマジで心配だった”と言った。彼の献身的なフォローでパーティー全員が登りきることが出来た。そして加藤もよくついてきた。ハーケン、ナッツも全て回収してくれた。二人とも本当にありがとう。
F3がテラスから見えた。ものすごい飛沫が上がっている。ゴルジュの完全中央突破とはならなかったが、満足のいく登攀ができた。



ゴルジュを抜けると、目の前には今まで見たこともないような大きくて美しいナメ滝が広がっていた。



西表島 イタジキ川遡行6 瀞を泳ぐ


2010年9月3日
西表島 イタジキ川遡行6 瀞を泳ぐ
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

ゴルジュを抜け、スケール大きなナメ滝を過ぎると、だんだんジャングルっぽいヌメッた岩の多い渓相となる。沢の傾斜もほとんどなくなり、水は深くなっていった。やがて川幅いっぱいに満々と水を湛えた瀞が続くようになる。水の流れはほとんどない。まるでダム湖のようだ。佐藤はザックをビート板のように使い、ガンガン泳いでいく。あっという間に上流へ泳いでいき見えなくなってしまった。加藤も同じようにやってみるが、全然前に進まない。ザックの形状が横に大きいと水に浮かべても安定しないようだ。それにほとんど流れがないといっても、全然ないわけではない。どうしても下流に流されてしまう。結局、加藤は普通にザックを担いで泳いでいった。

 私もカメラがあるのでザックを水に入れることができない。そのまま泳いでいく。泳いでいくのは本当に楽しい。ジャングル的な雰囲気もまた楽しい。あまりに楽しすぎて有頂天になる。なんという開放感!まさに南国、パラダイス!!だけど泳げない人はこの沢の遡行ってどうすればいいんだろうか?カナヅチは沢登りをやらないと思うけど・・・ 
しばらく泳ぐような場所が続く。泳がなくても、ほとんどが腰ぐらいまで浸かって歩く。増水しているせいなのか、岸から伸びる木が近い。川岸ぎりぎりを木につかまりながら歩いたりもした。ほとんど水の中だったので、全然暑くないのがいい。水も思ったより透明度が高くてきれいな気がした。進めば進むほどジャングル的な雰囲気も増してくる。そのへんの茂みから原住民が突然出没しそうな雰囲気だ。どうでもいいけど、パプアニューギニアの山に登ったときは本当に原住民が出没してビックリした。しかも豚をブヒブヒ何匹も引き連れていたので、びびってオシッコちびってしまった。 
しだいに本州でも普通に見られそうな渓相も現れるようになる。奥多摩の沢みたいな雰囲気の苔に覆われた場所もあった。ただ苔の大きさがすごかった。緑の苔がモッサモッサ岩に盛ってあった。
あたり前だけど、ほとんど人が入らない場所なので、岩がめちゃくちゃ滑る。岩のぬめりが取れているところはどこにもない。どこでも滑る。フェルトのソールも利きが悪くて滑りまくった。佐藤も苦労しているようだった。佐藤が山でズッコケルのを私ははじめて見た。しかも一度や二度ではなかった。当然、私はそれ以上にズッコケタ。
やがて川幅も狭くなってくる。といっても傾斜がきつくなってくるわけでもない。あいかわらず水平に近い。そして瀞も多くて何度も泳いだ。全体的に暗くなり、両岸からジャングルが迫ってくるような感じがする。だからといって瀞がずっと続くような単調な感じではなかった。突然、釜を持った小滝など現れたりする。それが妙に西表島っぽくてよかった。
大きく流れが右に曲ったところで、右岸側から沢が流れ込んでいた。ちょうど広い瀞になっているので“流れ込んでいた”といっても流れは全然ない。しかも本流が広い瀞なので比較すると10:1ぐらいにしか見えない細い流れだったが、地形図で明瞭な二俣になっている場所に間違いなかった。今回はGPSを持っていたので、安心して位置を特定できた。西表島のような高低差があまりなく、視界がきかないような場所ではGPSナビが非常に便利である。
そしてこの二俣もやっぱり泳いだ。
すぐにまた右岸側から支流が入る。あいかわらず水は深い。やがて苔に覆われた美しい景色になり岩が多くなる。苔に覆われた短いゴーロ帯を過ぎると突然目の前に明るく視界がひらけた。
そこには100メートル以上も伸びる、見事なナメが広がっていた。気がつけば僕らは駆け出していた。 

西表島 イタジキ川遡行7 幻の湖



2010年9月3日

西表島 イタジキ川遡行7 幻の湖
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

見事なナメは200m以上も続いていた。鬱蒼としたジャングルの中に、これだけの規模のナメが存在することに驚いた。ナメの上流部にはポットホールがいたるところに存在した。人が入ることができる大きさのものもある。加藤が入ってみたが、“ヌルイ・・・”とブツブツ言っていた。
やがて、また深い瀞が続く。また泳ぐ。野人、佐藤は木に登って瀞に飛び込む。飛び込んだ衝撃でヘルメットがずれた。加藤にも飛び込めと言うが、疲れているのか飛び込まない。私もそうだが、泳いでばかりだったのでけっこう疲れた。それに比べて佐藤は元気だ。
やがて水の流れも浅くなり、苔に覆われた鬱蒼とした渓相になる。やがて人の背丈よりも大きな岩が折り重なるように谷を埋め、水の流れは完全になくなった。岩の間を迷路の中を歩くようにルートを選んで登っていく。岩は苔に覆われ非常に滑りやすかった。お助けスリングを出しながら協力して越えていった。
やがて水の音が聞こえてくる。突然、高さ6mほどの滝が現れた。あまり高さがないので簡単に登れるような気がした。佐藤が“とりあえず登ってみて、ロープが必要だったら出しますわ!”と言って取り付く。滝の上部で、佐藤にしては少してこずっていたので“難しいのかな?”と思ったら、やっぱりロープを出した。後続のために上からロープを垂らして確保の準備をしてくれた。

次に私が登った。滝に取り付くとき、水をもろかぶってしまう。思わず“ブヘー!”とか叫びながら登る。やはり思ったとおり、滝の落ち口に出る最後の一手が難しかった。“これはちょっと難しいなぁ・・・”と思って、確保してくれている佐藤を見る。よく見ると、佐藤は手でロープを握っているだけだった。“おわっ!”と驚いた感じで固まると、佐藤は“ちゃんと確保してもらいたい?”と不適な笑みを浮かべた。“お、お願いします佐藤センセ”。半マストでしっかり確保していただき最後の難しい部分を越えた。まともなホールドがほとんどなかったので、かなりカッコ悪いレイバックで体を上げた。上から確保してなかったら沢でこんな登りはしなかっただろう。続いて加藤が登った。やはり一番上を越えるのに苦労しているようだ。そこで佐藤が“ホイッ!”と言って手を出して引き上げる。まさに“ファイト!イッパーツ!!”の世界だ。佐藤は山岳部の後輩だった加藤にはやさしい。
滝を越えて少し行くと、大きく左に流れが曲ったところで深い瀞になり視界が大きく開けた。大きな岩盤が左岸側に弧を描くように広がり、一段高くなったところから水が流れこんでくる。まるでその部分が何かの力で陥没したかのような地形だ。水は青く、流れはほとんどない。川底には沈没船のように不思議な形をした岩が横たわっている。直感的にここが“幻の湖”に間違いないと思った。
幻の湖は2万5千分の1地形図でも確認できる湖で、誰がそう名づけたがわからないがそういうふうに呼ばれている。確かにこれだけ上流に、突然これだけの広がりのある場所が存在するのは不思議な感じがする。
この“イタジキ川遡行”を計画したころ、この幻の湖で大ウナギを釣るのを1つの目標にしていたが、ここまで来るともうどうでもよくなった。“湖”と呼ぶにはあまりに貧弱な大きさであるが、ここまで苦労してくると“幻”と言えるような神秘な雰囲気を感じる。いま流行りの言葉を使えば、まさにここはパワースポットであった。

幻の湖の上流にも水は流れていた。地形図を見るとイタジキ川は幻の湖を源にして流れているような雰囲気を感じるが、まだまだ上流部は続く。湖から上流に行くのに、大きな岩(転石)を越えて行かなくてならない。荷物が重いとけっこう苦労する。ここでも佐藤がお助けスリングを出して、加藤をサポートした。

我々は湖の少し上流、左岸側に絶好のテン場を見つけ、そこでビバークすることにした。 

つづく


西表島 イタジキ川遡行8 ビバーク2日目



2010年9月3日
西表島 イタジキ川遡行 ビバーク2日目
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

幻の湖のすぐ上流に絶好のテン場を見つけた。林の中なので薪もすぐ集めることができた。佐藤は幻の湖を見下ろせる岩の上にテントを張りたがったが、酔っ払って落ちたらシャレにならないので却下した。
夕方6時くらいに到着したがまだ明るい。西表島は長野に比べて、ずいぶんと日没の時間が遅い。あたり前だけど。長野では9月に入ると午後6時ごろが日没だ。ここでは7時半ごろまで明かりは必要なかった。
ビショビショに濡れた装備を干して焚火にあたる。さすがにこの日は疲れた。ゴルジュ突破に半日もかかったのがきいた。佐藤は泳ぎすぎて疲れたと言っている。そして加藤は財布を流してしまったと落ち込んでいた。

加藤はゴルジュで貴重品を含む装備をいくつか流してしまった。ザックをロープで引っ張ったとき、上蓋の中に入れてあったものが全部出てしまったということだ。ゴルジュに入る前に上蓋のチャックを閉め忘れたか、チャックが少し開いていて激流で全開になってしまったのか・・・原因はわからないが気の毒な話だ。しかしその話を聞いたとき“そういえば・・・”という感じで思い出したことがあった。

ゴルジュの中で、岩に引っかかって動かなくなった加藤のザックを思いっきり引っ張っていたときのことだ。激流の中を白いタオルのようなものがユラユラと漂っている。“あれは何?大ウナギ?白いけど・・・”。極度に緊張した状況の中だったので幻覚を見ているのかと思ったが、あれは加藤のザックからバラまかれたトイレットペーパーに間違いなかった。航空機の機内持ち込みで、わざわざ大事に持っていたあのトイレットペーパー丸々一個をまさかこんな形で失ってしまうとは・・・まぁ、どうでもいいけど。その話を聞いた佐藤は“おめぇ、ゴルジュで白線流してどうすんだ!?”と大笑いしていた。加藤はますますショボクレタ。ちなみにこのとき失った加藤の装備は、財布、携帯電話、ヘッドランプ、地図、トイレットペーパー、ライターなどなど。加藤には申し訳ないが、共同装備として失って困るものは無かったので正直ホッとした。しかしこのときは笑い話ですんだ白線流しも後でとんでもない騒ぎを起こすことになる。

夕食の準備を佐藤と加藤がしてくれた。申し訳ないが、焚火にあたっているうちに私は寝てしまった。夕食ができたら佐藤が起こしてくれたので、ありがたくカレーライスと沖縄そばをいただく。そしてすぐに寝てしまった。私は完全にグロッキー。気がつけば全員テントの中で寝ていた。

夜10時ころ、急に目が覚めた。おなか一杯になって一眠りしたら元気になったようだ。佐藤もなぜか目を覚ました。夜のジャングルは、いろんな鳴き声が聞こえた。佐藤がテントの外を見て“何か光ってる”とつぶやく。よく見ると地面がもやっと薄く光っている。昨年の3月に西表島に来たときはヤエヤマボタルが乱舞して光っていたが、それとは違う光だ。佐藤が手を伸ばして、光るものつまんでテントに入れた。それはただの落ち葉だった。よくわからないが落ち葉についたカビか微生物が発光しているようだ。なんとも不思議な現象だ。

元気になった佐藤が“大ウナギを釣りに行くぞ!”と言って加藤をたたき起こす。加藤は“え、えぇぇ・・・できれば寝たいですけど・・・”とぶつぶつ言っていたが、先輩のいうことには“イエス”“はい”のどちらかしかないので持参したテナガエビ専用網を用意して、しぶしぶテントから出て行った。結局、一時間ほどがんばったが、翌朝の味噌汁に入れる小さなテナガエビしか捕れなかった。 

夜中、首筋あたりの異常なかゆみで目が覚めた。佐藤が“カイィ~カイィ~”とのたうちまわっている。パンツ一枚で寝ていた佐藤は、全身を何かに刺されていた。私もシュラフカバーから出ている首から顔にかけて何かに何箇所も刺されている。明かりをつけても、それが何かなのかわからない。天井をよくみると、細かい粉みたいなものが舞っている。本当に小さくて、テントのホコリだと思っていたら、それは虫だった。見たこともないような細かいブヨが大量にベンチレーターの隙間から入ってきて、我々を襲っていたのだ。“ギョェ~なんじゃこりゃぁー!?”。急いで蚊取り線香を外に置いてあるザックに取りに行く。テントの外へ出たとたん、ブヨの大群に襲われる。命からがら蚊取り線香をテントに持ち込み点火した。効くかわからないがヒルノックも散布する。蚊取り線香とヒルノックの匂いでテントの中はものすごいことになるが、ブヨの襲撃はおさまった。こんな恐ろしいブヨは初めてだ。佐藤の体を見るとひどいことになっていた。私もテントから少し出ただけで、ずいぶんとやられた。シュラフカバーに包まって寝ていた加藤は、この騒ぎに全く目を覚まさなかった。
かゆみも落ち着いてきたころ、ようやく静かな眠りにつくことができた。 



西表島 イタジキ川遡行9 イタジキ川源流域からユチン川下降




2010年9月4日
西表島 イタジキ川遡行9 イタジキ川源流域からユチン川下降
メンバー:塩月、佐藤、加藤 

朝6時半起床、7時半に出発。
前夜のラジオの天気予報では、台風9号の接近で昼頃には雨風が強くなるということだったので朝6時頃には出発したかったが寝坊した。幸い雨はまだ降っていない。この日の予定は幻の湖を出発し、イタジキ川を源流部を遡行する。そして西表島最高峰、古見岳に登頂し下山する計画だ。ちなみに古見岳は、最高峰といっても標高469.5mしかない。

幻の湖から上流は、流れもほとんどなく水も濁っていた。汚い瀞が連続してあまり気持ちのいいもではない。倒木も多くてかなりやっかいだ。茶色く濁った水で、足元が全く見えない。倒木に足をとられ、何度もズッコケタ。ヘドロのような泥も歩きにくくて難儀する。しかも歩くたびにブクブクとガスを噴出した。しだいに雨も降ってきて、ジャングルの中はますます鬱蒼とした暗い感じになった。
突然、腰のあたり大きな影が横切った。1m以上もある大ウナギだ。ゆっくりと我々の横を泳いでいき、茶色い濁りの中へ消えていった。加藤は“まるでオオサンショウウオのような太いウナギだ!”と興奮した。私はオオサンショウウオを見たことがないので、その感覚はわからないが、もしオオサンショウウオを見る機会があれば“まるで大ウナギのようだ!”と表現しようと思う。
それにしても体中が痒い。夜中にブヨに刺されたところが非常に痒い。なぜだか知らないが、水に浸かるとその部分が異常に痒くなる。水に冷やされて痒みがおさまりそうなもんだが逆効果だ。常に水に浸かっている股間あたりから太ももにかけての痒みで気が狂いそうになる。佐藤はあまりの痒さに岸に上がってやぶ漕ぎをしながら進んだが、大変なのですぐに沢筋に戻った。
地獄の黙示録のような遡行が続く。やがて流れは複雑に蛇行しながら枝分かれした。イタジキ川の源流部は、沢の流れが網の目のように複雑に絡み合っていた。地形図とGPSで、こまめに現在地を確認しながら進む。やがて流れはほとんどなくなり、尾根も近くなったので尾根筋へと上がった。佐藤が木に登って古見岳の方角を確認する。だいたいの場所がわかったので、とりあえず近場の目印として地形図に記されている標高393mのピーク(P393)を目指すことにした。そしていよいよ恐怖のやぶ漕ぎへと突入する。
やぶの中に入ってすぐ、木の枝を掴んだ右手に電気が走ったような痺れを感じた。あまりの激痛に、思わず“うげぇ~やられたー!!”と叫んでしまった。私の痛がりが大げさだったため、佐藤もビックリしてしまい“ポイズンリムーバーを使ってください!”とすっかりハブにやられたと勘違いして少し焦っている。そうこうしているうちに痺れる部分がみるみる腫れてきた。私も“こんなジャングルの中でハブにやられたら・・・”と焦りはじめたとき、加藤が小さな声でつぶやいた。“あぁ、これイラガの幼虫ですね。これはまぁ痛いですよ”。よく見ると小さい毛虫が葉っぱについていた。恥ずかしすぎて“本当にハブに噛まれたほうがよかった”とさえ思った。

西表島 イラガの幼虫

尾根筋をやぶを掻き分け進んでいくと、やがて太いツルの植物が密集して生い茂るようになる。これは南国特有の植物で“ツルアダン”というらしい。人の背丈ほどに成長したツルアダンは複雑に絡み合い我々の行く手を阻んだ。葉には棘があり、まともに掴むと強烈に痛い。しかしここまできたらとにかく進むしかない。佐藤と加藤が交代しながら、果敢にツルアダンに突っ込んで道を切り開いていった。今まで経験したことのないような強烈なやぶ漕ぎだった。藪漕ぎというより、密集したツルアダンの上をもがきながら踏み越えるといった感じだ。漕いでも漕いでも前に進まない。ときどきGPSで場所を確認してゾッとした。2時間以上やぶ漕ぎをして4~500mしか進んでいなかった。
それでもなんとかP393までたどり着いた。海が見えたが感動は全くなかった。とにかく今は進むしかない。古見岳に向かって進む。すると突然、先頭を歩いていた佐藤が“おわーっ!!”という叫び声とともに視界から消えた。“どうしたー?”と声をかけると、“あぶねぇ~、死ぬかと思った!”と返事がある。よかった、無事のようだ。佐藤が消えたあたりまで進むと、密集したツルアダンの下が切れ落ちていて10mぐらいの高さの崖になっていた。佐藤はツルアダンの隙間から落ちたらしい。幸いにも崖に生えていた太い木に抱きついて助かった。危機一髪といった感じだ。私と加藤も恐る恐る木につかまりながら崖を降りていく。下につくと加藤が疲れきった顔で“まだまだこれ続くんですかねぇ・・・”とつぶやいた。正直、私も限界にきていた。体力的にというより、精神的にマイッタ。時間は午後1時を過ぎていた。このペースでいけば確実にツルアダンの中でビバークをすることになる。しかも台風の影響で雨と風もずいぶんと強くなってきているのでかなり危険だ。“休憩して作戦を立てよう!”ということで3人で話し合った。

P393から降りてきた場所は古見岳へ続く尾根上のコルになっている。GPSで確認するとその場所の西側はユチン川上流部の枝沢につながっていた。そこで我々はユチン川を下降して下山することにした。
西表島では「雨が三粒降ったら川を渡るな」言い伝えがあるのを聞いていた。細かい枝沢が無数に存在する西表島のジャングルでは、少しの雨でも多量の水が本流に集まり増水して危険だということだ。しかし海岸線からジャングルへのアプローチは、マングローブの森に覆われているため沢筋を通るしかない。朝から雨は降り続いているのでユチン川を降りるのは少し不安だが、このまま古見岳を目指して進んでも下山路は相良川を下降するルートとなり、結局は沢筋を降りることになる。どうせ沢筋を降りるなら早いほうがいい。

コルからユチン川へ向かって降りていくと、高さ10mほどの崖になるが巻いて降りていく。いざとなればロープを出せばいいので、降りるのは気が楽だ。しばらく行くと水の流れも出てきて沢っぽくなる。やがて本流と合流し営林署の赤テープが見られるようになる。よかった。後はそんなに難しくはないだろう。ユチン川はエコツアーのコースになっているので踏み後もしっかりしている。多少、増水してもなんとかなるだろうと思った。下り始めて2時間ほどでユツン三段の滝の上に出た。天気が良ければ海岸線を一望できる絶景スポットのはずだがドシャブリの雨で何も見えない。ここは右岸側の巻き道から降りる。滝の下に出る頃には、バケツをひっくり返したようなドシャブリになる。水かさがどんどん増していくのがわかるが、素晴らしいナメが現れたので有頂天になって騒いだ。
沢に沿って登山道が続いていた。途中2度、本流を渡渉したがロープを出さずにいけた。流れは増水して茶色く濁っている。ユチン川も下流にさしかかったところで、登山道を枝沢が横切っていた。枝沢は増水して大変なことになっている。恐る恐る渡渉をしていると、佐藤が向こう岸から紅い木の実をふざけて投げつけてきた。悪ふざけにもほどがある。足でも滑らそうものなら、一気に本流まで流されて東シナ海の藻屑と化すだろう。やがてアダンの木の間を縫うように道が続く。アレっ?と思って気がつけばアスファルトの道に出ていた。
ユチン川を降り始めて3時間ほどでユチン橋に到着した。いがいにあっけない感じだった。それにしてもくたびれた。早く飲みに行きたい。さっさとこの島を離れてしまおう。ということで路線バスをヒッチハイクして港まで行き、石垣島へと向かった。




西表島 イタジキ川遡行10 遭難騒ぎ


2010年9月6日
西表島 イタジキ川遡行10 遭難騒ぎ


9/6石垣島 ペンションやいま日和
西表島を離れて3日目、私たちは石垣島でバカンスを楽しんでいた。といっても、たいしてやることがあるわけでなく、ほとんど宿でぶらぶらしていただけなんだけど。加藤は蝶を求めて朝早くから出かけていた。佐藤は朝っぱらからビールを飲んでいる。私は宿に置いてあったゴルゴ13を読みふけっていた。
私の携帯電話に知らない番号の電話が入る。
「西表島白浜駐在所の××だが、加藤さんとは一緒かね?(←けっこう強い口調)」
「はい、一緒にいますよ。(といっても、加藤はチョウチョを探しにいってるけど)」
「何っ?ていうことは加藤さんは無事だということか!?こっちは彼が遭難したと思って捜索隊も出てるし、向こうの親御さんは遭難したと大騒ぎになってるぞ!(怒)」
「はぁ?どういうことですか!?」


落ち着いて話を聞くと、西表島の白浜駐在所にゴルジュで流した加藤の財布が届けられたそうだ。財布から加藤の名前がわかり、提出されていた登山計画書と照会して我々が遭難してしまったと勘違いしてしまったようだ。
なんとも申し訳ない話である。大変な心配と迷惑をかけてしまった・・・んっ?待てよ。おかしいぞ?下山報告はきちんとしたはずだけどなぁ・・・

普段の山行では絶対にしない警察への下山報告を今回に限ってはしておいた。なぜならそれには理由があったからだ。我々が下山したユチン川河口付近は近くにバス停がなかった。ドシャブリの中、上原方面へ一時間近くも歩いたが我慢も限界にきてタクシーを呼ぶことにした。しかしタクシーの電話番号がわからない。そうだ!警察に下山報告をするついでに番号を教えてもらおう!!我ながらナイスアイデア。アダンの木陰で雨をしのぎながら登山計画書を提出した上原駐在所に電話をかける。
私:「登山計画書を提出していた飯田山岳会のものですが、下山の報告です」
駐:「え?さっき電話かけてきた大学生?」
私:「いいえ、違います。飯田山岳会です!」
駐:「さっきかけてきた大学生のワンゲル・・・」
×3
電話が遠いのか、私の前にかけてきた大学生のことが気になるのか何度も同じやりとりを繰り返した。いいかげん頭にきて切ってやろうかと思ったが、タクシーの電話番号を教えてもらいたかったので我慢した。
私:「大変申し訳ないですが、タクシーの電話番号を教えてもらえればありがたいのですが・・・」
駐:「今、どこにいるの?上原からだと〇〇レンタカーていうタクシー会社があるから電話して」
(いや、だから教えてくれって言ってんだろ!!)
私:「今、非常に雨が激しく降っていまして(←情で訴える作戦)、できれば番号を教えていただければ大変ありがたいのですが・・・」
駐:「いやぁ、104で聞いてくんない?〇〇レンタカーっていうから」
ムッキー!!本当に頭にきた!!ドシャブリの中、こっちは必死こいて電話しているのに、なんちゅうポリ公じゃ!!いや失礼。警察署は電話案内ではありません。私が悪いのです。


とまぁ、こんなやりとりをしたので上原駐在所の人間も覚えているはずだ。しかし電話をかけてきた白浜駐在所の駐在員は、“おたくらのせいで捜索隊まで出して大騒ぎになってんだ!どうしてくれる!!”みたいな雰囲気だ(実際にはこんなこと言ってませんよ)。 それにしても捜索隊まで出したとなってはオオゴトである。私もいちおう大人の対応をする。「それは大変なご心配とご迷惑をおかけして非常に申し訳ございません。」と謝っとく。そして「登山届を提出した上原駐在所には下山報告をしていたんですけど、そういう話は聞いてませんでしょうか?」と続けた。
駐:「えっ、あれ?そうなの?」
私:「ええ。しつこくタクシーの電話番号を聞いたので覚えていると思いますけど」 
駐:「あぁ~、そうだったか。いやぁてっきり遭難したと思って、捜索隊も出るところだったよ・・・」
かなりトーンダウン。しかも捜索隊は出てないし。しかしこちらが財布を落として迷惑をかけたことには違いない。

その後、駐在所のほうへ加藤から直接電話をかけさせることを約束し電話を切る。さすがに加藤の親には心配をかけて申し訳ないと思い電話をかけた。電話にでた加藤の母親は、駐在所のほうから無事を知らされたすぐ後だったので、かなり安心した様子だった。それでも涙声だったのでそうとう心配したに違いない。こちらも恐縮して大変申し訳なく思う。
母:「それで息子は今どこにいるのでしょうか?」
私:「チョ、チョウチョを探しに出かけてまして・・・」
母:「え?・・・」
この騒ぎの中、いったい何をやっているんだこのバカ息子は。

そもそもなぜこんな大騒ぎになってしまったのか後で状況を整理した。
まず地元ガイドがツアーで訪れたマヤグスクの滝で、財布やヘッドランプなどを散乱した状態で発見する→“こりゃ!この上流で遭難した人がいるぞ!!”ということで白浜駐在所に届ける→白浜駐在所は西表島の各駐在所に登山計画書を照会する→加藤のパーティーを確認する→こいつら増水しているこの時期にとんでもないところに入ってるぞ→遭難?→計画書から加藤に電話をかける→でない(でるわけない。携帯電話も一緒に流してんだから)→やっぱり遭難か?→計画書から加藤の緊急連絡先(親)に電話をかける→下山の連絡なし→遭難決定→捜索隊集合

そしてさらに計画書に記載されている他のメンバーにも電話をかける→佐藤にかける→酔っぱらって電話にでない→佐藤の親にかける→留守ででない→私の妻にかける→仕事中ででれない→私に電話をかける→私→生きてる!


下山報告を受けた上原駐在所が、きちんと処理をしていればこんなことにはならなかったというのもあるが、白浜駐在所の対応にも問題あるような気がする。
私の提出した登山計画書には、現地連絡先(私の携帯)や留守本部(飯田山岳会会員の携帯)の番号を緊急時の連絡先としてわかるように表示している。常識的に考えてそこに連絡をとってから遭難の初動を判断すべきではないだろうか。親なんかに電話しても、下山報告どころか山に行っていることすら知らなかったという話にしかならないだろう。捜索隊はどれだけの規模で集められたか知らないが、全くもって迷惑な話であったにちがいない。
でも、そもそも加藤がゴルジュでザックの中身をまき散らかさなけらばこんな騒ぎにならなかったのも事実なので、これは同じパーティーのリーダーとして大いに反省している。しかも本来ならば加藤本人が西表島まで出向いて拾得物の確認と受け取りをしなければならないところだが、彼は蝶を追っかけまわしていて連絡がつかず、おまけに翌日の飛行機で帰らなくてはならないことを白浜駐在所に説明すると、駐在員さんがその日の船便で拾得物を石垣島の八重山警察署へ送る手配をしてくれた。白浜駐在所様、本当に感謝感謝感謝です!いろいろ書いたけどごめんさい。

その後はのんびりとビーチで過ごす予定だったが、加藤の父親、駐在所、八重山警察署、宿泊していたペンションなどからこのことで何度も電話があり、全くバカンスどころではなかった。
そのかわり加藤には、その夜しっかりとご馳走になった。1杯9000円もするヤシガニを食えるなんて、一生の思い出になりました。本当においしかったです。加藤先生、ありがとうございます。 


どうでもいいけど、加藤が八重山警察署で拾得物の確認をしたとき、パンティーストッキング(ヒル用)が出てきて婦警さんに白い目で見られたことが今回の旅のオチです。

おわり